「小さな村で育つということ」

げんばまきこ

 

 娘たちも手を離れようやく子育ても一段落かな、というところ。 四国の山奥の集落に暮らして丸17年。 長女は5歳から、次女は0歳からここで大きくなったが、高校がないので中学卒業と同時に村を出て暮らしている。コンビニはなく信号もひとつしかないところからいきなり町へ出て、驚きや戸惑いも多かろうと想像しているが、若いうちは何事も勉強。ギャップを楽しんできたまえ、と獅子の子おとし(大げさ!?)的な気持ちで送り出した。

 

 村で育った子どもたちの多くはそのまま帰ってこない。学校、仕事、結婚といったチャンスが村には少なく、それは人が少ないからだという。こうしてまた人が減っていく。数字的に見ると風前の灯火、(政治の無策で)じっとしていたら村が消えてなくなる。こんなところがいま日本にいったいどれほど存在しているだろう。

 

 この村では、少しでも子どもたちの声でにぎわいをと1991年から山村留学制度を設けて、都会の子どもたちが山村留学センターから地元の小学校に通っている。 留学期間は最短1年。 私もセンタースタッフとして10年間留学生の子どもたちと暮らしてきた。留学生も我が子も、そして自分もまた共にここで育ち、育てられてきた。関わってきたから言うのではないが、子どもたちがどれだけの学びを得て町へ帰っていったかと思うと、数字には置き換えられない価値がある。

 

 じいちゃんが炭を作る知恵、炭火のあたたかさと焼いた魚の味わい深さ、 ばあちゃんが作る干し芋がどんなおやつよりおいしい事実、子どもは誰からも愛される存在であることを感じて育つ日々。自然に寄り添う暮らしから切り取るシーンは、それぞれの子どもたちにとって忘れ得ぬ五感の記憶として残っているはずだ。もちろん人並みに辛い思いも経験したかもしれない、でも何年たってもずっと村の風景がなつかしいと便りをくれる。村で暮らした1年で、どこでも生きていける自信がついた、どんな人ともうまくやっていける気がする、多くの元留学生たちから聞くなにより嬉しい言葉だ。

 

 娘たちもここで、故郷という以上の生きていくためのベースを築かせてもらった。町では梅干しや味噌は作るより買うのが多数派だと知って大いに驚いていた。その感覚を忘れないでほしいと思う。

 

 娘たちをかわいがってくれて、地に足着いた暮らしぶりを学ばせてもらったじいちゃんばあちゃんたちも、ひとり、またひとりと亡くなった。空き家も増えていずれ「限界集落」と呼ばれるのかもしれない。でもここで育った子どもたちは、確実に村の空気や人のあたたかさを記憶の中に感じながら自尊心を持って暮らしている。子どもの人数が少ないからと安易に学校を統廃合したり教員数を減らしたり、政治の世界は数字でしかみていないようだけれど、教育というのは最も数字に表れないもののひとつではないかとしみじみ思うのだ。子どもが自然豊かな小さな村で育つという選択肢をなくしたくない。

 

(コープ自然派 Tableタブル 2015,1月号掲載)