大人の都合と教育

昨日、高校の「夏休み」で結遊館に遊びに来ていた北川小学校OGが海外の学校に帰って行きました。

ニュージーランドの歴史の授業で、当然、教師が教えてくれるとばかり思っていたのに、自分で調べてレポートを書かなければならないということに驚いていた彼女。

教育のスタンスが「知識」ではなく「知性」にあることを彼女は学んでるのだと思います。

宇沢弘文は:
旧制一校の寮生活で、農村出身の友人たちの多くが持っていた「大らかな人間性」「たくましい生き方」「ことがらの本質を鋭く見抜いてゆく知性」に衝撃を受けた。
(「社会的共通資本」岩波新書)
とあります。

大人の視点だとややもすると、山村留学は「僻地校の数合わせ」「不登校対策」「自然体験」などにしか映らないかも知れません。しかし、宇沢の人格的基礎が農村出身の友人たちから受けたという行は、非常に重要だと考えます。

我が家、我が地域、我が社、我が国に「戻ってきてほしい」というのはわかりますが、その子がこれからどう生きるかの伴奏(奏でる方がしっくりする)に徹することがより本質なことなのではないでしょうか。

国境や会社、地域に縛ることは大人の都合でしかないと思うのですが・・・どうでしょう?  (管理人/玄番隆行)

優先順位

データを誤魔化したり、公の文書を改竄したり、都合の悪いことはなかったことにする大人が多い昨今。

特に、責任ある地位にいる大人がそんなことをしても平気で許される世の中はもう終わりにしないといけません。

ルール(憲法などの法律も)はみなが守ってこそ、対等な世の中が実現します。こども、心身ともにハンディキャップをもつ人たち、様々な立場的に少数者となっている人たち、高齢者など、力の弱い人たちを力の強い人達から守るためにも「対等性」を重視しなければなりません。

われわれはその際、優先順位を考える必要があります。例えば、温暖化による気候変動でどんな人たちが最も被害に遭うのか。農家でしょうか、それとも農作物の先物取引で利益をあげる投資家でしょうか。被害額でいうと投資家の人たちだと考えられます。日常の暮らしに直接悪影響を被る人たち一人ひとりの被害額は、投資家や大企業のそれとは比較にならないほど小さい数字なのかも知れません。

しかし、ときに数値による優先順位付けは対等な世界を壊してしまいます。

上のグラフは、小さな学校の現状です。保育園、小学校、中学校に通うこどもたちに責任は一切ありません。われわれ大人のこれまでの優先順位が間違っていたのではないかと素直に認識することから始めたいと思います。友達の数が多いからこどもたちは幸せだとも単純には言えませんが、都会では失われた自然環境が残る中山間地で、こどもたちが多様(同年代や異年齢)な仲間と「遊ぶ」ことのできる環境を整えてあげる責任がわれわれ大人にはあるのではないでしょうか?

遠隔地でもオンラインで

facebookのスカイプ機能+外部マイク&スピーカー

山村留学に関して都市部へ出前説明会をしていますが、遠隔地の場合、オンライン(スカイプ等)でも対応しています。

今回、海外からのお問い合わせで数分ほどお話させていただきました。

みなさん、気軽にお問い合わせ下さい。