大人の都合と教育

昨日、高校の「夏休み」で結遊館に遊びに来ていた北川小学校OGが海外の学校に帰って行きました。

ニュージーランドの歴史の授業で、当然、教師が教えてくれるとばかり思っていたのに、自分で調べてレポートを書かなければならないということに驚いていた彼女。

教育のスタンスが「知識」ではなく「知性」にあることを彼女は学んでるのだと思います。

宇沢弘文は:
旧制一校の寮生活で、農村出身の友人たちの多くが持っていた「大らかな人間性」「たくましい生き方」「ことがらの本質を鋭く見抜いてゆく知性」に衝撃を受けた。
(「社会的共通資本」岩波新書)
とあります。

大人の視点だとややもすると、山村留学は「僻地校の数合わせ」「不登校対策」「自然体験」などにしか映らないかも知れません。しかし、宇沢の人格的基礎が農村出身の友人たちから受けたという行は、非常に重要だと考えます。

我が家、我が地域、我が社、我が国に「戻ってきてほしい」というのはわかりますが、その子がこれからどう生きるかの伴奏(奏でる方がしっくりする)に徹することがより本質なことなのではないでしょうか。

国境や会社、地域に縛ることは大人の都合でしかないと思うのですが・・・どうでしょう?  (管理人/玄番隆行)

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